平井 弥之助(ひらい やのすけ、1902年(明治35年)5月16日 - 1986年(昭和61年)2月21日)は日本の電力土木技術者、電力事業経営者。昭和時代の電力開発に卓越した見識と強い使命感をもって貢献した。また女川原子力発電所等の建設にあたっては貞観地震、慶長三陸地震による大津波を考慮した適切な技術的助言を与えた[1][2]。平井彌之助とも書く。 平井は次の例に見られるように、技術者としての合理性と電気事業者としての責任感に基づいて地震・津波対策の重要性を説いた。宮城県出身の平井は地震・津波の恐ろしさを実感していたからだろう。「貞観大津波(869年)は岩沼の千貫神社まで来た」と語っていたという[1]。 新潟火力発電所の建設(1957年(昭和32年))に際し、地震による地盤の液状化を予測して深さ12メートルの超大型のケーソン基礎(鉄筋コンクリート製の大型の箱舟)を作らせて火力機器をその上に設置した。1964年(昭和39年)の新潟地震のおりには地盤の液状化が10メートルに達し、その有用性が証明された[1]。 東北電力の女川原子力発電所の建設(1968年(昭和43年))に際して「海岸施設研究委員会」に参画し、貞観地震級の大津波に備えるために敷地を14.8メートルの高台に設けることを強く主張した。さらに引き波時に海底が露出する事態に備えて取水路を工夫させた[1][3]。ウィキペディア
引用元 https://www.reddit.com/r/todayilearned/comments/caek82/til_of_the_onagawa_nuclear_power_plant_that_was/
・自分の本能に忠実だった男に幸あれ。
・↑彼が昇進したことを祈るよ。
・↑彼は2011年に他界している。
・↑でも、彼の原発はこれからも生き続ける。
・↑うん、でも彼は昇進したの?
・彼には常識があったのさ。
・Netflixでシリーズ化してくれないと、話が頭の中に入ってこない。
・女川「福島よ、もう終わりだ。私の方が優位な立場だ」
・福島は地震を生き延びたが、津波対策されていなかった。
・この2つの場所は60kmしか離れていないのに、一方は何世代にも渡って続く大災害になった。
・女川の方が高い場所にあった。
・↑高い場所に建てたからだよ。
福島も高い場所にあったけど、建設費を安くするために35メートルから10メートルに低くした。
・ディーゼル発電機が使えなくなるなんて、驚くほど無能だね。
・↑地下室に発電機とバックアップの電源システムがあったことが、私の理解を超えている。
防潮堤が役に立たなかった場合、メルトダウンを防ぐのが2つの発電機しかないことは、明らかな抜け落ちだ。
・津波が起きる地域なのに、地下室にディーゼル発電機。
まずいことになるはずがない!
・でも、放射能漏れで亡くなったのは1人だけ。
しかも巨大津波を伴った大地震だった。
原発が安全ではないと信じる必要はない。
・これくらい頑固な男が、ボーイング737MAXの責任者だったらな。
・↑福島原発も。。。
・備えあれば患いなしだよ。
・この同じ原発が、地元の人々の避難所としても使用された。
女川の町は、地震によって引き起こされた津波で最も破壊された地域だ。
町の建物の9割が壊された。
この春、私は町を訪問したが、素敵なところだったよ。
それから、彼らは津波から教訓を学び、居住地や重要な建物は津波が届かない高い場所に建てた。